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 '08/02/29 ブランドの歴史について(グッチ編)

グッチといえば、バンブー製品。最近でこそ、そんなに製品を見なくなってきましたが、一時みんなが憧れ、一世を風靡したバンブー商品を懐かしく思うとともに、今でも人気のあるGG柄は、若者の憧れの商品ではないでしょうか。弊社のお店にも良く持ち込まれるGG柄の商品は、持ち運びからデザイン性まで優れているヴィトンやエルメスやシャネルに次ぐブランドではないかと思います。このブランドの歴史について少し勉強しました。

1881年 グッチの創設者であるグッチオ・グッチ( Guccio GUCCI )はイタリアのフローレンスで生まれる
1920年代 グッチオ・グッチは故郷であるフィレンチェに皮革製品を取り扱う会社とラゲージ専門の小さなショップを開業した。
1930年代 グッチはオープンから数年のうちにハンドバック、トランク、グローブ、シューズ、ベルトなど世界各地から求めて訪れるようになったのです。そして、品質保証をするために、世界で初めてデザイナーの名前を入れた商品を販売したのがブランド商品としての元祖になります。自らの頭文字をあしらったGG柄は現在でもグッチを代表する柄の一つになっているのは有名です。
1940年代 国連による経済制裁により、イタリアは他国との貿易が禁止になり、このため皮の輸入が困難になりグッチの経営は危機に直面するのです。このときに在庫の皮を極力使わないようにして皮以外の製品を組み合わせて製品を作り生まれたのが、これも現在も代表の一つとして有名である「バンブーバック」であります。絶体絶命の危機をチャンスに変えて新しい商品を生み出すというのは、大変すばらしいですよね。
1950年代 ストライプ・ウエビングや、メタルビット付きモカシンシューズ等を発売しこれらも大ヒットとなったのです。 GUCCI の創業者のグッチオ・グッチが1953年に死去。グッチはその息子や孫に受け継がれ、同年 GUCCI ニューヨーク店がオープンする。コレに伴い GUCCI は世界的な高級ブランドとして、その名を知られるようになったのです。
1960年代 グッチが発表する製品の数々は、その時代の象徴する著名人たちにこよなく愛され、普遍的なデザインとして名声を博しました。例えば、ジャッキー・ケネディーが生前愛用したグッチのショルダーバックは、現在も「ケネディー・0」の名で多くのファンを魅了し続けています。しなやかな作りの「ホーボーバック」は、エリザベス・テーラー、ピーター・セラーズ、そしてサミュエル・ベケットなど、性別を問わず愛されたユニセックスな名品として知られています。クラシックなビックモカシンは、メトロポリタン美術館(ニーヨーク)の服飾部門、コスチュームインスティチュートの永久所蔵コレクションとして展示されています。またフローラプリントのシルクスカーフは、グレース・ケリーのためにデザインされた一点として有名なのです。
グッチはロンドン、バームビーチ、パリ、ビバリーヒルズにもショップをオープンし、世界へその名を広げています。 そして、60年代に中頃には、伝説的な「インターロッキングGG」ロゴが採用されました。
1970年代 グッチは世界的に事業展開を繰り広げ、香港や東京などアジアにも進出してきたのです。
1980年代 この頃からGUCCI内部では経営的な内部紛争が絶えず、挙句にGUCCI自体が経営危機に陥ってしまったのです。
グッチ家からバーレーンに拠点を置く投資会社インベストコープがグッチ株を譲り受け、抜本的な企業改革に乗り出し、伝統的なバックに現代的なものを取り入れて発表し、世界的な話題となり、経営改善の兆しが見え始めてきたのです。
1990年代 グッチは伝統的なデザインと革新的なアイデアを融合させ、ブランド再生を果たしたのです。クリエイティブ・ディレクターに就任したトム・フォードは、ブランドに大胆さとセンシャルなタッチを加え、新しいスタイルで全てのデザインコンセプトをコントロールするようになり、グッチは再び快進撃が始まってきたのです。新生 GUCCI の誕生です。トム・フォードの活躍により GUCCI は倒産の危機から世界最高の人気を誇るブランドとしての復活を遂げたのです。


現在は、マーク・リーがクリエイティブ・ディレクターとして指揮を執り、グッチを引き続き偉大な遺産を継承しつつ、革新的なアプローチを行っているのです。始めに書いたようにグッチブランドの人気は現在も不動のもので、若者たちはもちろんの事、我々ブランドを日々取り扱うものとしては、恩恵をもらっているのです。

                           (グッチホームページ参照)





 '08/01/30 真珠の品質について

●真珠が輝くわけ
真珠光沢のことを「オリエント」といいます。このオリエントは真珠の表面近くの層状に積み重なった小板状結晶のアラゴナイト(炭酸カルシウム)とコンキオリン(たんぱく質)の薄膜が幾度にも重なり真珠が出来上がります。真珠は核の表面を真珠層が覆った構造をしています。その真珠層の厚さは、アコヤ真珠で1年平均0.4mm。2年で平均0.7mmぐらいです。巻きの厚い白蝶真珠でさえ2mmぐらいです。しかし、この数ミリに真珠の輝きの美しさというのが凝縮されているのです。アラゴナイト一層の厚さは、約0.3〜0.5ミクロン。これが重なって0.4mmになるということは、1mmが1000ミクロンですから、単純計算で1000層も重ならないといけないのです。という事は、真珠層は半透明なため、表層部100ミクロン程度までの何百もの層が光を反射し、真珠特有の美しい光沢を出すのです。

●真珠の品質について

  1. 光沢(テリ)
    真珠特有の虹色の輝きを表します。高品質の真珠は、真珠層の結晶構造と不純物の含有で決まります。結晶が規則正しく均一の並んでいるものほど、そして、真珠層の厚さがあり、キメ細かいのものほど、美しい光沢を持ち透明感と艶が出てくるのです。

  2.  
  3. 巻き
    核のまわりに巻いた真珠層の厚さのことで、非常に大切な要素です。一般的に養殖期間の長いものほど厚くなり、厚くなるほど耐久性や光沢が増し、上質といわれます。光沢の良し悪しにも影響を及ぼします。

  4.  

  5. ラウンドと呼ばれる丸いものから変形したバロックなどがあり、価値は真円に近いほど高価になります。しかしながら、涙型の「ドロップ」楕円の「オーバル」スジが入っている「サークル」形のいびつな「バロック」などがあり、それぞれ多様な表情を楽しむことができ、自然では二度と同じものが作り出すことの出来ないもので、自分だけのオリジナルのパールとして考えれば、一般的な価値観に左右される事もないかもしれません。

  6.  
  7. キズ
    真珠は貝が作り出すため、エクボができます。また、真珠はどうしても硬度が低いために当たったりすると表面に小さいキズができてしまいます。もちろん高価なものほど、キズが少なく、滑らかなものが良い真珠になります。

  8.  

  9. 真珠にはいろいろな色があり、ホワイト系からピンク系、そしてブラックまで様々なバリエーションがあります。好みによってそれぞれなのですが、日本人が好みとする色はピンク系です。色が均質で、透明感があり深みがある色が高品質といわれています。当然、前述で述べた「巻き」や「テリ」が良いほど、発色も美しくなってくるのです。

  10.  
  11. サイズ
    真珠の大きさは、当然大きいほど高価になります。「輝くわけ」で述べたように、アコヤ貝は1年間で平均0.4mmしか育たないのです。大きくなればなるほど貝の成長でリスクが伴うというわけです。そのため、高価になるのは当然の事なのです。

これらの1〜6の項目が互いに影響しあい、パールの価値は決まっていきます。すべての項目において優れた資質が認められるパールは大変希少性が高く、高価なのです。





 '07/12/28 真珠の種類について

一概に真珠(パール)と言っても、それぞれ種類があります。それは、いろいろな母貝によって違うからです。今回はその種類について、簡単にお話したいと思います。

  • アコヤ真珠
    世界で最もポピュラーな真珠で、アコヤ貝を母貝としてできる真珠です。日本で養殖されている真珠なので「和珠(わだま)」とよんだりもします。私たちの周りで一番よく見かける真珠で、ネックレスなどに作られるのが多く、ブルーっぽいものからシルバー系まで、そして人気がある色ではピンク系があります。サイズは小さいもので6mmぐらい〜大きいので9mmぐらいまでが一般の市場で出回っている大きさでしょうか。それ以上になりますと、ない事はないのですが、アコヤ貝の養殖としては10mmアップぐらいが限度でしょう。

  •  
  • 淡水パール
    淡水パールは中国で主に養殖されています。しかし、日本でも琵琶湖や霞ヶ浦などでも養殖されているのはご存知でしょうか。淡水パールの母貝はイケチョウガイという貝です。この淡水パールはアコヤ貝などと違って核をもたないため「無核真珠」と呼ばれます。真珠層だけで作られているため、比較的丈夫というのも、一つの特徴です。また、無核真珠であり、母貝が大きいため、一度に数十個の真珠が作られるのも特徴です。値段的には安価であり、いろいろな色に処理され、楽しむことができるのも特徴ではないでしょうか。

  •  
  • シロチョウ真珠
    シロチョウ真珠はシロチョウ貝を母貝としているため、大きい真珠が多いです。大きさでいきますと、16,17,18oぐらいまでになり、フィリッピンやインドネシアなどの南洋で取れるため南洋パールとも呼ばれています。大振りなネックレスなどもありますが、ひとつひとつで指輪として見ることが多いでしょうか。シロチョウ真珠は絹のように柔らかく、華やかな色合いと光沢で気品にあふれている豪華さが魅力的であります。

  •  
  • クロチョウ真珠
    クロチョウ真珠は黒っぽいためブラックパールと呼ばれています。クロチョウ真珠はクロチョウ貝を母貝としています。よく耳にするかもしれませんが、「タヒチ産」が良いとされています。日本の沖縄などでも養殖をしています。クロチョウ真珠の色はシルバー系からブラックまであり、神秘的な美しさと個性的な迫力のある深い色合いが大変な人気だったみたいです。最近は少し人気に陰りが出てきた感じもしますが、深い緑に赤みがかった反射のものをピーコックグリーンと呼び、最も希少で価値があるとされています。

  •  
  • マベ真珠
    マベパールといい、マベ貝の養殖によりつくられます。日本でも奄美海域で人工採苗によるマベ真珠の養殖がおこなわれています。私がよく見かけるのはブローチなどの製品が多く、結構大きいものに付けられることが多いですね。ドーム型が特徴で半円真珠です。特徴は独特の虹色の光沢を持ち、高さがあるほど質がよいとされていて、繊細に輝きます。この「マベ」は半円真珠の代名詞のようになっていますが、正しいのはマベ貝から取れるものを「マベ」と呼んでいるのです。

  •  
  • コンクパール
    コンクパールはピンク貝を母貝とする天然真珠です。あまり一般の人には馴染みが深くないかもしれませんが、大変希少性のある真珠です。というのも、ピンク貝はバミューダからフロリダ州南部、西インド諸島を含むカリブ海全域に棲息しています。ほら貝に似た巻貝で養殖が難しいため現在のところはすべてが天然の真珠です。そのため、大変希少なのです。この真珠の特徴は表面に「火炎(かえん)模様」あるいは「フレーム」と呼ばれ、曲線模様が見られるのが最も良いといわれています。色は様々なものがあり、ピンクや赤、オレンジや白、灰色がかったものや、紫がかったもの、グリーンがかったものまで、貝のどの部位で生成されるかによって色が変わってきます。強い色むらを示すものが多いのですが、宝石として好まれる色はピンクやオレンジなどです。そして、コンクパールと上記@〜Dのパールと大きな違いは、サイズの表示方法です。上記パールは直径で表しますが、コンクパールの場合は石の重さであるキャラットで表示するのです。当然石の重さが大きいほど、そして、丸くなっているほど基本的には値段も高くなってくるのです。





 '07/11/30 海の宝石、真珠について

 鉱物でない有機物の宝石として一番にあげられるのが真珠ではないでしょうか。真珠はほとんどの女性の方が一つは持たれているのではないでしょうか。そして、意外と普段は使わないので、よく我々質屋に持ち込まれる事の多い質草の一つであります。今回はその真珠にスポットを当ててみようと思います。
鉱物の宝石は、産出したままの状態ではたいした美しさというものがありません。ほとんどの場合は研磨したりして、美しい輝きやその宝石の効果が現れてきます。しかしながら、真珠の場合は、その貝の中から取り出した瞬間から、あの美しい優美な輝きを放っているのです。

 真珠には天然真珠と養殖真珠があり、現在ではほとんどの真珠が養殖真珠になります。昔は真珠といえば天然真珠が主だったため、ものすごく価値があり重宝されていました。市場に出てくる真珠は変形した真珠がほとんどなため、真円の真珠となりますと高価だったのです。明治時代になり、今では真珠のブランドとして有名なミキモトの創始者である御木本幸吉により、真珠の養殖に成功し、その技術が進歩し、現在のような養殖が当たり前になってきたのです。

 天然真珠は偶然に貝の体内に入った寄生虫や小魚などの死骸や砂粒が一つの刺激になって、それを核として真珠が形成されたものです。そのため真円でない真珠が多いのは当たり前ですよね。それに対して、養殖真珠は偶然に入った核のかわりに、人為的に真円の核を貝の中に入れてやり、真珠を形成させます。そのため、真円の真珠が形成されやすいのです。現在は技術が進み、日本で養殖しているアコヤガイの真珠は大きい物で9ミリぐらいのまでは見かける事が多々あります。まれに10ミリ以上のアコヤガイの真珠もある事はあるのですが、養殖ではこのぐらいが限度のようですね。当然、大きい真珠は価値も高いという事も付け加えておきます。次回は真珠の種類について、また、真珠の評価について少しお話ししてみたいと思います。





 '07/10/30 金剛石の色について

 金剛石というのはダイヤモンドの和名の事です。ほとんどの方が、ダイヤモンドは、無色透明の色を思い浮かべると思いますが、いろいろな色があるというのをご存じでしょうか。たくさんの種類がある代表的な宝石はサファイアなどで、グリーンやイエロー、ブルーは一般的ですが、バイオレットや無色透明なホワイトサファイアなどたくさんの種類があります。ただ赤色のサファイアだけがレッドサファイアといわず、ルビーと呼ぶのです。サファイアほど有名ではないかもしれませんが、ダイヤモンドも希少性のあるブルーやレッド、そんなに希少性のないブラウンやブラックなどの色をしたダイヤモンドがあるのです。

 ダイヤモンドは以前このコーナーでお話しした事があるのですが、4C でダイヤモンドの価値が決まってきます。4C とは、
 (1) カラットCarat (重さ)
 (2) カラー color (色)
 (3) カットCut (プロポーション)
 (4) クラリティー Clarity (透明度)
 の英語の頭文字をとって4つのC と呼ばれます。その4C の評価でダイヤモンドの価値が決定されます。ただし、(2) のカラーでは無色のダイヤモンドから黄色みを帯びたダイヤモンドだけをD〜Z までのアルファベットを使って評価します。その他の例えば、ブルーやピンクやレッドなどのめずらしいファンシーカラーは(2) のカラーとは異なり、色の深さや鮮やかさに基づいて評価されるのです。

ここで、ファンシーカラーダイヤモンドの希少性について少しお話しいたしましょう。天然のファンシーカラーダイヤモンドの採掘される確率は、一般に採掘されるダイヤモンドの0.06% と極端に低いのです。数値から見ても、いかに希少性が高いかがお分かりになるでしょう。その中でも、良質で最も希少性の高い色は、なんといってもブルーになります。一般的にファッションリングなどで使われているブルーのダイヤモンドはほとんどが処理石(トリートメント)になります。こう言っては申し訳ないのですが、天然のそれとは価格的に雲泥の差があります。その次に希少性のあるのが赤系でしょうか。赤色のダイヤモンドになりますとになると、なかなか目にする事がないダイヤモンドでしょう。最近は婚約指輪などの石の脇石としてピンクのメレーダイヤが使われているのをよく見るようになりました。という事は小さいピンクに関しましては、けっこう市場には出回っているという事でしょうか。ただ大きいピンクダイヤモンドに関しましては、年間を通してもそんなに採掘されてはいないので、これも大変希少なダイヤモンドなのです。

ファンシーカラーダイヤモンドのグレーディングとして、高い順に表します。

  1. Fancy Vivid(ファンシービビット)鮮やかな色が出ている物
  2. Fancy Intense(ファンシーインテンス)強く綺麗に色が出ている物
  3. Fancy (ファンシー)綺麗に色が出ている物
  4. Fancy Light (ファンシーライト)多少薄めであるが色が綺麗に出ている物
  5. Light (ライト)薄いが色が認められる物
  6. Very Light (ベリーライト)かなり薄めであるが色が認められる物
  7. Faint (フェイント)僅かであるが色が認められる物
希少性のあるブルー系やグリーン系はなかなか見る事はできないのですが、ピンク系やイエロー系に関しましては、たまに見る機会があります。以前(7、8 年ぐらい前かなあ)ほどではないと思いますが、現在でもピンク系は高くなります。一般的なホワイトのダイヤモンドでは4C でも話したとおり、クラリティーが値段に密接に関係しますが、ファンシーダイヤモンドに関しましては、当然クラリティーが良いにこした事はないのですが、色目(上記のような1〜7 まで)が大変影響するのです。イエロー系のダイヤは、ビビットのような鮮やかな黄色は高いと思われますが、一般的なライトイエローやベリーライトイエローなどのダイヤモンドは、価格的にはそんなに高くないという事です。興味のある人はぜひ、今度ショーケースを覗く時には、ダイヤモンドの色に着目してみてはいかがでしょうか。





 '07/09/29 岡山県出身の有名人について(雪舟)

 みなさんも子供の時に、絵本などで読んで知っているお話しだと思います。絵の好きな小坊主が、あまりにも絵が好きで僧侶になるための修行をしないで、絵ばかり描いているため、懲らしめのために柱にくくりつけられ、そろそろ良いだろうと和尚が縄をほどきに来たら、生きたネズミがそばにいて、追い払おうとしたが全然逃げない。よく見ると小坊主の涙で描いたネズミだった。と言う話です。それが雪舟の話なのです。有名な雪舟も岡山県の出身です。今回は雪舟について書きたいと思います。

雪舟は応永27年に今の岡山県総社市赤浜(備中国赤浜)で生まれたとされています。13歳の時に備中井山の宝福寺にはいり僧になったと言われています。
その後、17歳の時に京都の相国寺にはいり、当時将軍足利義教の御用絵師を勤めていた周文の弟子となり、画の修行を積むことになったと言われている。応仁元年(1467)48歳の時、山口県の周防から守護大名大内氏の遣明船にのり明に渡り、雪舟の才能あふれる画は明の誇り高き「画院」でも絶賛されたとのこと。よっぽど画が好きだったのでしょうか。
文明元年(1469)に帰国し、豊後国府内(今の大分県)に画房を開き、諸国を旅して色々な作品を残したのです。国宝が5点、重要文化財が12点です。後世に大変な影響を及ぼした雪舟が岡山県出身というのには、岡山県人としましては大変誇れることであります。





 '07/09/01 岡山県出身の有名人について(池田遙邨)

 今回は日本画家の池田遙邨(いけだようそん)について少しお話ししたいと思います。この池田遙邨先生はもちろん岡山県の出身で92歳まで創作活動に執念を燃やした有名な画家であります。まずはプロフィールから見ていきましょう。

1895年(明治28年)11月1日に岡山県倉敷市に生まれる。本名は「池田昇一」という。
1910年(明治43年)大阪の松原三五郎の天彩画塾で洋画の手ほどきを受ける。
1914年(大正3年)遙邨(ようそん)19歳の時に第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」を出品して初入選。
1919年(大正8年)竹杖会に入り竹内栖鳳(たけうちせいほう)に師事し、日本画へ移行。その時の名前は「池田遙村」(いけだようそん)と書く。 その年第一回帝展に「南郷の八月」が入選する。
1923年(大正12年)関東大震災後の東京のスケッチをする。
1926年(大正15年)京都市立絵画専門学校研究科を卒業する。その頃から「池田遙邨」(いけだようそん)を書くようになる。
1928年(昭和3年)第9回帝展で特選となる。
1930年(昭和5年)第11回帝展で特選となる。
1931年(昭和6年)「昭和東海道五十三次」が完成する。
(昭和11年〜昭和24年)京都市立絵画専門学校助教授を務める。
1952年(昭和27年)日展参事となる。「幻想の明神礁」を発表。
1953年(昭和28年)画塾・青塔社を結成、主宰する。日展評議員となる。
1954年(昭和29年)「森の唄」を発表。
1960年(昭和35年)池田遙邨(ようそん)64歳の時に日展で日本芸術院賞を受賞する。
1976年(昭和51年)日本芸術院会員に選ばれる。
1977年(昭和52年)日展顧問となる。
1984年(昭和59年)文化功労者の表彰を受ける。
1986年(昭和61年)倉敷市名誉市民になる。
1987年(昭和62年)文化勲章を受章する。
1988年(昭和63年)9月26日に京都で急性心不全のため93歳の誕生日目前で他界する。


日本画家池田遙邨は若い頃、ムンクの影響を強く受けたと言われています。また、ドフトエフスキーなどのロシア文学を読み人生の悲惨な側面を入れた新しいタイプの日本画を試みています。しかし、そういう作品では帝展に落選してしまいました。その後、年をとるにつれて画面の色彩は豊かになっていき、軽妙洒脱な画風になっていきます。そして、1928年にようやく大雪の大阪を描いた「雪の大阪」で帝展特選を射止めるのです。池田遙邨(いけだようそん)の作品の中には、鳥たちが季節や風土を伝えながら、空を自由に羽ばたいています。古来、鳥の視線を求めてきた人々は、絵画の世界でも空から見渡すような構図が多く用いられてきました。池田遙邨(いけだようそん)作品にも、このような構図が多く確認されているのです。



参考
 倉敷市立美術館参照 http://www.city.kurashiki.okayama.jp/kcam/





 '07/08/15 岡山県出身の有名人について(竹久夢二)

 岡山県出身の芸術家もたくさんいますが、今回は「竹久夢二」を取り上げてみましょう。竹久夢二は絵画の他にもデザインや本の装幀、詩や俳句などで活躍した人です。まず竹久夢二のプロフィールについて少し見ていきましょう。

明治17年9月16日岡山県邑久郡本庄村(岡山県瀬戸内市邑久町)で造り酒屋の次男として生まれる。本名は茂次郎。
明治32年神戸中学に入学するも、8ヶ月で中退。
明治33年一家で福岡県に転居。
明治35年早稲田実業学校に入学。
明治38年「世界中学」にコマ絵「筒井筒」が一等入選。ここで初めて「夢二」と署名する。早稲田実業学校を中退する。
明治40年絵葉書屋未亡人の岸たまき(25歳)と結婚。夢二(23歳)読売新聞社入社して、時事スケッチを掲載する。
明治42年岸たまきと協議離婚。最初の著書でコマ絵と挿絵をまとめた短詩を添えた絵入り小唄集「春の巻」発刊。ベストセラーになる。その後6冊を刊行。
明治43年たまきと再同棲。絵葉書「月刊夢二カード」第一集を発売。以降、第101集まで9年間続く。絵入り小唄集の続巻「夏の巻」「花の巻」「旅の巻」「秋の巻」「冬の巻」「さよなら」などを刊行。超人気作家となりロマンティックな夢二様式は社会風潮にまでなった。
明治44年雑誌「白樺」版画展の最初の入選者となる。
大正元年京都府立図書館で夢二作品展開催。
大正2年詩集「どんたく」「昼夜帯」刊行。
大正3年絵草子店を日本橋呉服町に「港屋」開店。笠井彦乃と交際を始める。
大正4年彦乃と結婚。彦乃19歳。夢二31歳。詩画集「三味線草」出版。
大正5年セノオ楽譜に「お江戸日本橋」の装幀を手がける。以後270のセノオ楽譜の装幀をする
大正6年京都清水二年坂に転居。
大正7年京都府立図書館で第2回夢二叙情画展覧会開催。9月に「宵待草」が出版され、全国に流布。
大正9年春、「長崎十二景」完成。
大正10年モデルのお葉と渋谷に世帯を持つ。冬「女十題」完成。都新聞に自伝絵画小説「出航」を連載。
大正13年「婦人グラフ」に表紙や口絵の掲載を始める。昭和2年まで続く。当時の夢二人気にあやかって、これらの雑誌は飛ぶように売れた。12月松沢村にアトリエ付新居 「少年山荘」完成。転居。
大正14年山田順子の出現によって、お葉去る。
昭和6年アメリカに向かう。
昭和8年体調を悪化させ、帰国。
昭和9年結核で富士見高原療養所入院。8ヶ月後病死。享年51歳。最後の言葉は「ありがとう」。


竹久夢二は数々の作品や写真を多く残し、夢二の描く夢二美人はその時の一世を風靡し、人々の目を楽しませてくれました。夢二が残した多くの美人画は「夢二式美人」と呼ばれ、人気を博したのです。この数々の作品が夢二美術館やコレクターによって所蔵されています。私もこのコーナーを通して、本やホームページなどで作品に触れ、楽しませてもらいましたが、こういった作品が我が「太田質店」に来たら、と思うと楽しくなります。相当な金額になるのでしょうね。もし、皆様も興味がございましたら、是非行って作品を見てみたら楽しいと思いますよ。
参考
(1)竹久夢二美術館 東京の文京区にある美術館です。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
(2)竹久夢二伊香保記念館 群馬県伊香保にある記念館です。
http://www.yumeji.or.jp/
(3)日光竹久夢二美術館 大正ロマンをテーマにした美術館です。
http://www.yumeji.co.jp/
(4)夢二郷土美術館 岡山県にある美術館です。
http://www.yumeji-art-museum.com/





 '07/07/31 岡山県出身の有名人について(1)

 今回は少し質屋と関係する質草から離れて、「太田質店」のある岡山県、私の生まれ育った岡山県にスポットを当てて、どういった人が岡山県出身なのかを見ていきたいと思います。

 最初に私が思い浮かべるのは人間国宝までも排出する備前焼の作家です。商売柄彼らの作品を手に取る機会が多いからです。しかし、備前焼作家については、「目利きのいろは」で以前取り上げていますので、今回は彼らを除く有名人について見ていきます。  日本の教科書などに出てくる歴史的にも有名な岡山県出身の総理大臣といえば、犬養毅に他ならないでしょう。また、つい最近お亡くなりになった橋本龍太郎なども、総理大臣を経験した政治家です。現在安倍晋三内閣総理大臣が90代ですが、犬養毅が29代、そして、橋本龍太郎が82,83代と総理大臣を経験しているのです。 また、私が趣味にしています将棋に目を向けてみますとあの大山康晴十五世名人がいます。私も昔祖父の部屋に大山名人の色紙があったのを子供心に覚えていますが、祖父も興味があったのでしょう。その有名な棋士が岡山県出身(倉敷)というのが発見でき驚いたり喜んだりしています。大山十五世名人は、数々の対戦をして未だに抜かれていない記録がたくさんあり、私など趣味で将棋を見たり、指したりする人にとって、あこがれの人です。今第一線で活躍している将棋のチャンピオンの羽生喜治が19歳の時に対戦しているというのには驚きです。

また、何といっても毎日のお茶の間に出てきたり、映画のスクリーンに登場する俳優や歌手は有名人の中でも注目でしょう。その中で私が一番にあげたい芸能人(俳優)は何といっても八名信夫です。先日も岡山で講演があり話を聞いてきたところですが、みなさんはお分かりになるでしょうか。青汁のコマーシャルで「うーん、マズイ!」なんていうCMをしていた悪役商会の俳優です。この八名信夫はたまたま私の父と出身校が一緒ということもあり、父親の友達を通して情報が来るので身近に感じている俳優です。八名信夫のプロフィールを見てまたびっくり。プロ野球選手だったみたいです。大学を中退して東映フライヤーズ(現日本ハム)に入団します。怪我で野球を断念するのですが、親会社の東映に入社してからは、みんなもご存じのように数々の悪役をこなし、現在悪役のリーダー的な存在の地位へと上り詰めていくのです。今では出身地の岡山県はもとより、多くの町で「青少年の育成」や「大人が他人の子供たちを叱ってやろう」などをテーマに講演をしているとのことです。何を隠そう私が聞いたのも岡山県の暴力追放の講演です。 まだまだ岡山県出身の有名人は多くいますが、次回は芸術部門で有名な人を紹介してみようと思います。





 '07/06/30 店長の好きな宝石(サンゴ)

前回で終わりと言う事でしたが、是非もう一話というリクエストを頂きましたので、もう少し書かせていただきます。それは「サンゴ」についてで、鉱物の宝石とは違いますが、必ずお店でも月に何度かお目にかける装飾品ですので、簡単にお話ししてみようと思います。

「サンゴについて」
サンゴというのは、簡単に言えば「動物」だったというのは驚きではないでしょうか。ハッキリ言って、私も以前勉強していて、それが分かった時には驚いた事を思い出します。海の上をプカプカ浮かんでいるクラゲや海の中の岩などにくっついているイソギンチャクなどと同じ腔腸動物に属するのです。サンゴは、細い枝上に固まった「サンゴ虫」の固まりなのです。驚いたでしょう!

  1. サンゴ
    宝石用となるサンゴ類は、サンゴ樹を形成するポリプ(個虫)が触手を8本持っている八放サンゴに分類されます。これに対して、同じようにサンゴと呼ばれていても、熱帯の島を取り巻くサンゴ礁は、ポリプの触手が6本ないしその倍を持つ六放サンゴに分類されます。この六放サンゴは柔らかすぎて加工には適さないため宝石用とはならないのです。

  2. サンゴの特徴
    宝石用のサンゴの主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)で、それに3%前後の炭酸マグネシウム(MgCO3)が加わっています。その他に多少の有機質分や酸化鉄の含有があります。比重は2.6〜2.7で屈折率はカルサイト(方解石)と同じで1.65−1.49です。硬度は3.5〜4.0ぐらいで、人間の歯と同じぐらいの堅さなのです。

  3. 宝石用のサンゴの種類
    1) アカサンゴ 2)シロサンゴ 3)モモイロサンゴ 4)ベニサンゴ の生態的に4つに分類する事が出来ます。このうち1)〜3)の3種が、日本近海の南西太平洋海域に生息しています。
    生態的な分類の他に、宝飾用のサンゴは、外観の色合いによって大きく3つに分ける事が出来ます。赤、桃、白と言い、中間的な色の事を「ボケ」と言ったりします。

  4. 現在のサンゴの装飾品としての地位
    日本は昔から着物を着ていた人種なので、着物の装身具として、かんざしの玉に使ったり、帯留めや羽織紐、そして、印籠(いんろう)やたばこ入れの根付けなどに用いられたりしました。現在でもまだこういったものに使うのはいうまでもありません。

  5. サンゴの最高の色
    サンゴの最高の色は血の色がよいとされています。その色を血赤サンゴとよびます。血赤サンゴで真円、そして、大きかったら大変な値段になります。どうしても、天然の場合、虫食いのように穴が横の方に開いていたり、色が白かったり、色が抜けていたりするものですが、それがなかったら上級な血赤サンゴになるわけです。かんざしの場合は真円がほとんどだと思いますが、帯留めやペンダントなど、また指輪などでも真円でないカマボコの形になったような、また、木の枝のようになった形のデザインのものもあります。真円に比べたら値段的には落ちると思いますが、血赤サンゴの色でしたら、真円のボケサンゴに比べたら高級な値段になるのです。ただ人それぞれ好みというのがありますので、そのサンゴが気に入れば、金額にとらわれず楽しむべきものだと思います。





 '07/06/16 店長の好きな宝石(オパール)

  • ホワイト・オパールについて
    ホワイト・オパールはブラックオパールと共にオーストラリア産を代表するオパールです。ホワイト・オパールの地色は淡白色・白色・乳白色などで、半透明から透明のオパールの中に遊色効果を持つものをいいます。ブラックオパールに比べて安価で大きいのが多く、遊色効果が大きくて大変きれいなものがあります。我々質屋もよく取り扱う宝石の一つです。

  • ファイアー・オパールについて
    地の色がイエロー、レッド、オレンジ、ブラウンで透明から亜透明の石をファイアー・オパールといい、遊色効果があるもの、この効果がないものでも、ファイアー・オパールの仲間に入れられます。主な産地はその名の通りメキシコです。赤色の地色をもち、遊色効果の強いファイアー・オパールはブラックオパールと同じぐらいか、それ以上の評価を与えられるものもあるぐらい貴重な宝石の一つにあげられます。

  • ウォーター・オパールについて
    メキシコのオパールには無色透明な地に遊色を見せるものがあります。ガラスのように透明なことからクリスタル・オパールあるいは地の赤いファイアー・オパールに対してウォーター・オパールとも呼ばれます。透明なことからファセットカットされることも、またカボッションカットされることもあります。地色が無色ですと七色の遊色が他の色に邪魔されませんので際だって美しく見え、特に魅力的になるわけです。私はあまり大きいウォーター・オパールは見たことがないですが、大きく遊色のはっきりと出るウォーター・オパールは高価な宝石になるのでしょう。

どうでしたでしょうか。エメラルドにしましても、オパールにしても、特上品である色は最高にきれいで、高価なのです。ただあまり高価とは言えない宝石でも、宝石の中を覗いてみると、宇宙のように神秘で、地中で何千年という年月を経て生成された宝石であることが感じられるのではないでしょうか。もし今回の話で興味を持たれた方は宝石用のルーペがなくても虫眼鏡で、宝石の中を覗いてみましょう。ひょっとするとまた違った見方が出来るかもしれません。まだまだ個人的に好きな宝石はあるのですが、この辺で一端終わりたいと思います。





 '07/05/31 店長の好きな宝石(オパール)

引き続きオパールについてお話します。オパールの主要産出国はオーストラリアとメキシコです。この2カ国以外にも、南米のブラジルやペルー、インドネシアなどでも採掘されます。微量ですが、日本の福島県でも採れるというのには驚きですね。とは言っても、日本で採れたオパールのほとんどが宝石としての価値は、低いという事ですが。 オパールは一般的に、地色の色によって4種類に分ける事ができます。1,ホワイト・オパール、2,ブラック・オパール、3,ウォーター・オパール、4,ファイアー・オパール です。 この中で、1,2をオーストラリア産オパールと呼び、3,4をメキシコ・オパールと呼びます。これは産地によっての呼び方で俗称になりますが、宝石業界では今でもメキシコ・オパールと呼び、どちらかというとウォーターとかファイアーなどと呼ぶよりもメキシコ・オパールといった方が通用するぐらいです。

  • ブラックオパールについて
  • すべてのオパール変種の中で最高位にランクされるのが、ブラック・オパールです。真黒の地に大きい赤のフ(フというのは遊色効果の事)がはっきりと現れていたら、トップクラスのブラック・オパールになります。その次にオレンジのフ。そして、イエロー、ブルー、紫、という風に言われています。これは単純に赤フが一番採れにくく、紫の石が一番多く採れるというわけです。
     ブラック・オパールの価値を判断する場合に、必要な基準が4点ほどあります。第一は色です。上記で述べたようにどのような色がどのように遊色効果を見せているのかが評価になります。第二に、色が石全体に対して、どのくらいの範囲で入っているのかも評価の対象になってきます。フが大きく入っているのは、すごく見事ですものね。第三としましては、どのくらい透明度があるかですね。そして、明瞭で鮮明な色がでているのかというものも評価には重要ですよね。最後に第4としまして、石の大きさですよね。当然、大きい方が小さいよりは価値が高いです。ただ形の場合はあまり関係がないと思います。オパールの場合は、母岩と一緒に産出され、そして研磨をして一つの宝石になるわけです。そのため、形は最大限に遊色効果のあるフをいかすため、色々な形になるためです。この4つの評価基準によって、総合的な評価がでるのです。オパールの写真がないので、少し分かりづらかったでしょうか。
次回はホワイト・オパール、メキシコ・オパールについて簡単にお話ししていきましょう。





 '07/05/15 店長の好きな宝石(オパール)

(2)オパール

日本人はオパール好きらしく、多い時には世界でとれる75パーセントを輸入していたと言いますからすごいですよね。私も日本人ですからやっぱり好きな宝石で、あの色々に輝く同じものが二つとないオパールがたまらないのです。それでは、少し科学的な特徴から見ていきましょう。
  • 科学的な特徴
    • オパール・・・和名 蛋白石(たんぱくせき)
    • 化学組成・・・SiO2・nH2O
    • 結晶系・・・ 非晶質(内部は規則正しく原子配列をしている結晶質と原子配列が不規則で結晶構造を持たない非晶質に分けられる)
    • モース硬度・・・ 5.5〜6.5(ちなみにダイアモンドは10であります。オパールは傷が付きやすいため日常生活でつける事はさけた方がよいかもしれませんね。)
    • 比重・・・1.99〜2.25
    • 屈折率・・・1.37〜1.47 *ただし、水分の含有率で比重や屈折率は大きく変わります。

    オパールは日本語で蛋白石(たんぱくせき)と呼び、卵の白身の部分が固まったような色合いと形状とで産出する事が多いため、命名されました。オパールの名前の由来は、ラテン語の宝石を意味する"opalas"ですが、その"opalas"という言葉自体が、古代サンスクリット語で宝石や貴重な石を意味する"upala"から派生した言葉です。 石英系の珪酸鉱物はいずれも結晶ですが、唯一オパールのみが結晶ではありません。水に溶けた球状の珪酸微粒子が固形化したゲルで、いわば鉱物のゼリーやゼラチンといえるものです。このため、ふつう3%から20%程度の水分を含み、比重や屈折率も水分の含有率で大きく変動します。ただし、宝石用となりますと約6%〜12%ぐらいといわれています。このように水分を含んでいるために、熱には弱く乾燥したところでは水分が失われてひびが入って割れたり、輝きを失ったり、と不安定な鉱物でもあります。オパールは水分が失われ長い年月が経っていくと、安定した玉髄や鱗珪石や方珪石へと変わっていくのです。 オパールの主成分である珪素と酸素とは地殻の成分の4分の3を占める何処にでもある元素です。従って、オパールもまた世界各地に玉髄や水晶等ともに豊富に発見される、いわば最もありふれた鉱物ですが、多様な環境や条件の下に生成されたため、実に多彩な色合いと形態とで産出するのです。 オパールには、色々な種類があるため、次回はそれぞれについて簡単に見ていきましょう。





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